1 知夫里島
神奈川県弁護士会環境委員会は、2018年7月6日から同9日にかけて島根県にある隠岐諸島の調査に出かけた。
これは、隠岐諸島を形成する知夫里島の報告である。
<知夫里島観光協会作成のチラシより抜粋。>
上図の赤線で囲まれた島々が隠岐諸島であり、知夫里島は、西ノ島、中ノ島と共に隠岐諸島の島前(どうぜん)と呼ばれる地域に属している。これら三島により島前カルデラが形成されている。つまり、知夫里島は、太古の昔に存在した大きな火山の活動によって生まれた火口の一部を成す島である。その面積は13.69平方メートル、周囲27キロメートルの小さな島である。知夫里島の人口は595人(平成27年10月1日現在)、牛の放牧が盛んであり、約600頭が飼育されている。人間と牛がほぼ同数である。
隠岐に流された後醍醐天皇も知夫里島を訪れている。
2 河井の地蔵の湧水
この湧水は、古くから健康に良いと言われ、飲料水、料理用として島民に親しまれており、「島根の名水百選」にも選ばれている。飲んでみると、確かにペットボトルのミネラルウォーターより美味しかった。
また、この湧水は一度も枯れたことがないそうである。その理 由は、知夫里島が属する島前の地質にある。島前の地質は、大部分が溶岩や粒の粗い堆積岩により形成され、この溶岩や粒の粗い堆積岩は多くの水を貯め込みやすく、また、岩石の間には水を通すための隙間が存在する。島前の地下には大量の淡水が貯まっていると考えられており、その淡水が岩石の隙間を通って地表に絶えず湧き出ているのであろう。
3 知夫赤壁
知夫赤壁とは、島の南西部に位置し、国の名勝天然記念物に指定されている崖である。もともと地元では赤い岩肌から「あかかべ」と呼ばれていたが、国の名勝に指定されたときに中国の三国志に語られる「赤壁の戦い」にちなんで「せきへき」と名付けられた。
この崖は、630万年前、この場所で活動していた火山の断面が地表に現れたもので、崖が赤茶色になっているのは噴火で飛び出した溶岩の飛沫に含まれる鉄分が高温のまま空気に触れて酸化したためである。赤い岩肌に縞模様が見て取れるが、これは溶岩の飛沫が繰り返し吹き上がり降り積もったことにより形成された。
撮影ポイントである展望スペースは、赤壁の対面にある崖の上にある。柵は一切なく切り立った崖から赤壁を望むことが出来る。崖の下から吹き上がってくる風を受けつつ面前に広がる赤茶色に染まった崖を眺めるとかなりの迫力を感じ、正に絶景である。ただ、写真では、迫力が今一つ伝わらないのが残念である。
知夫赤壁へは、フェリー乗り場のある来居港(くりいこう)から山沿いの上り下りが続くルートを車で辿って行くことになる。そのルートは、車1台がようやく通ることが出来る細い道である。しばらく進むと放牧されている牛が細い道の真ん中に居座り道を塞ぎ進むことが出来なくなった。まるで、ここは俺たちの土地だと言わんばかりである。けたたましくクラクションを鳴らすと牛を驚かせることになるので、牛が道を開けてくれるまで待つしかない。しばらく待ったが、一向に道をあけてくれない、また、空けようとする気配もない。案内をしてくださった地元の方から、車をゆっくりと近づけると牛が車をよけるため道の端に移動することがあると教えられ試してみると、かなり牛に接近してようやく道を開けてくれた。ありがとう牛さん。
<道を開けてくれた牛の脇をゆっくりと通り抜ける。>
4 赤はげ山
知夫里島で最後に訪れたのは、赤はげ山頂上の展望台である。赤はげ山という名前は土壌が赤く木がないことに由来する。この展望台は、隠岐一番の好展望地と言われ、隠岐諸島だけでなく遠く島根半島や鳥取県の大山まで望むことが出来ると言われている。しかし、我々が訪れた時は、赤はげ山頂上は辺り一面、霧に覆われ展望を望むことは残念ながら叶わなかった。赤はげ山では、頂上に放牧されていた牛の群れが我々を迎えてくれただけに終わった。
5 最後に
知夫里島は、太古の火山活動によって形成されたカルデラの一部を成しており、火山活動が枯れることのない湧水や赤壁等の絶景をもたらしている。今回の調査は、天候にやや恵まれなかったこともあり日程に余裕がなく駆け足での調査となったにもかかわらず、小さな島でありながら知夫里島のダイナミックな自然や自然のもたらす恵に感銘を受けた調査となった。
以上
平成29年7月2日、我々神奈川県弁護士会公害環境問題委員会有志は、カヌーに乗って奄美大島のマングローブの森の調査に出かけた。
筆者はマングローブとは特定の植物の名称と誤解していたのだが、そうではない。マングローブとは、熱帯、亜熱帯において、満潮時に海水が侵入する河口の湿地帯に群生する樹木群の総称である。マングローブの森に群生している植物は、そもそも陸地に生息していたが、生存競争に敗れ、陸地から海水の侵入する河口付近に生育場所を求めて移動してきたものである。
さて、調査当日、我々は川幅の広い川の本流にある発着場から出発した。出発時は、満潮であったので、川の水面は潮の満ち引きの影響がなくとても穏やかで、カヌーを漕ぐため力をこめるひつようはない。軽く漕ぐだけで、カヌーはスイスイと水面を進んでいく。
しばらく進むと、川の本流から外れ、マングローブの森の中に通じる細い水路に入っていった。
マングローブの森は、水路の間近に木々が迫っている。水路際に生育している木々の根本は水につかっている状態である、さらに潮の干満により森の中にも海水を含んだ水が入り込むようである。
マングローブの森に群生している植物は、海水の侵入する河口に育っているが、塩分を栄養として体内に取り込んでいるわけではない。体内に入った塩分は、葉から体外に排出する。塩分を排出する役割を持つ葉は、黄色がかった色をしている。黄色がかった葉を噛んでみると確かに塩っ辛い味がした。
細い水路を抜け、再び川の本流に戻る。本流を少し下流に向けて下り、再び細い水路に入っていく。この細い水路からは帰路となり、上流に向かってカヌーを漕ぐことになる。細い水路の両岸にマングローブの樹木が迫り、木々は我々の頭上を覆い、まるで樹木のトンネルの中を進むようである。
川の上流に向かって戻る帰路は、既に干潮の時間帯になっていた。引き潮の流れに反して、カヌーを漕ぐことになり、相当な労力を必要とし、漕いでもあまり前には進まない。また、水路の水深はみるみる浅くなっていく。木々を見ると根本に近い部分が水面から顔を出している。水面から顔を出している部分は、濡れていて今まで水に浸かっていたことがよくわかる。
水深の浅くなった水路を進むと、カヌーの船底が川底の接触する場所もあり、漕いで進むことは困難となった。船底を川底に擦りながら無理やりカヌーを漕ぐとカヌーを傷めてしまうそうだ。我々は、漕ぐことを諦めカヌーを降りて手で曳き、川を歩いて進むことになった。細い水路の出口までカヌーを引きながら歩いて進むと川の本流に突き当たり、カヌーを漕ぐのに十分な水深となった。ここで再びカヌーに乗り込むことになるが、発着場での乗り込みと異なり、スロープがあるわけではない。水面にぷかぷか浮かぶカヌーに簡単には乗り込めない。何度かトライしているうちに、びしょ濡れになってしまった。仕方なく浅瀬にカヌーを引き寄せて船底を川底につけて動かないようにして、ようやく乗り込むことが出来た。そしてしばらく引き潮に逆らいながら漕いで発着場に戻り、マングローブの森の調査を終えた。
出発から発着場に戻るまで1時間半を要した行程であった。